【感想】キリンの首

ユーディット・シャランスキーの『キリンの首』(細井直子訳)を読んだ。

書店のカートに入れられているところを偶然手に取り、装丁に一目惚れし購入。この美しいデザインは作者の手によるものらしく、「もっとも美しいドイツの本」に選定されているとのこと。

 

舞台は東ドイツのさびれた片田舎。まだソ連支配下の遺構が色濃く残る。

主人公のインゲ・ローマスクは生物学教師で、30年以上勤め上げているベテランだ。

ダーウィンの「適者生存」を信仰しており、彼女にとっては自然科学こそが正義。人間はあくまで、他の生物たちと同じ、遺伝子に支配された動物であり、何も特別な存在ではない。弱者は排斥され、強者のみが生き残る。

彼女はその思想を自身のカリキュラムにも強く反映していて、勉強ができない、運動ができない、劣った生徒を容赦なく弾き出す。まさしく鉄の女。生徒たちには恐れられ、保護者からは嫌われ、同僚からは疎まれているが、彼女は自分の正義を、自然科学の原則を淡々と遂行する。

 

けれど、実は彼女は、自分でさえも気づかないようにしているが、やはり「人間の女」なのだということが、まるで氷の世界に綻びが生じるように、しだいに明らかになっていく。

家庭内別居状態の夫、ろくに連絡も寄越さない一人娘、更年期障害、不倫の末の堕胎、魅力的な女性教師への憎悪、そして、女子生徒への小児性愛

「人間の女」だ。それも負け犬の。

だから彼女はやはり、彼女が信条とする「適者生存」に倣って、学校を追放される。

 

タイトルの「キリンの首」は、彼女の最後の生物の授業のテーマである。

キリンの首はなぜ長くなったのか。生物学者の間でも長年議論になり、いまだに正解が見つからない問いについて、彼女は持論を展開する。

この最後の授業の台詞は、間違いなくこの小説で最重要のステイトメントだ。強い者だけが生き残り、弱い者はいなくなる。人間も同じ。それこそが進化であると。彼女が一貫してもっている信念だが、どうしてか、このときばかりは冷徹な裁きではなく、子どもたちへのエールのように響く。

 

インゲ・ローマスクはとんでもなく偏った考え方の持ち主で、実在の人物が発言したのであれば"炎上"しそうなものも多い。

例えば、障害者(症候群患者)についての記述。「何が正常かは、そこから逸脱したものを見てはじめてわかる。何が健常かを見きわめるために、奇形が必要なのだ」

確実に危険思想だ。その他にも、同性愛者を「病気」と称したり、女は子供を産んだら役割が終わる、とも言う。火種の宝庫だ。素晴らしい小説だけども、この作品はSNSには向かないかもしれない。

 

とはいえ、ローマスクの論調には同意できる点もたくさんある。少なくとも私にとっては。

「人類とは、タンパク質を基礎とする儚い存在だ。この惑星を束の間制服した、じつに驚くべき存在だが、やがては他の不可思議な生物たちとまったく同じように、ふたたび消えていくだろう」

46億年前に地球が生まれ、それからおよそ10億年後に生物が生まれた。ヒト属が生まれたのは200万年前、ホモサピエンスが生まれたのは40万年前。ホモサピエンスは現存する唯一のヒト属で、弱肉強食のトップに君臨した。だけどそれは、地球の歴史から見るとほんの一瞬のできごとでしかないはずだ。いつかまた別の捕食者があらわれ、人間の地位は失われる。

私も常々そう思ってきた。その捕食者がインゲの言う植物かどうかはわからないけど、人間は所詮仮初の王座をもらっただけで、いつかは人間が恐竜にそうしたように別の生物に征服されてしまうのに、なぜか自然を自分たちの所有物だと思っている。自然をコントロールできると思っている。保護できる、(自分たちが優位の立場として)共存できると思っている。あまりに傲慢だ、と。

 

「(絶滅に瀕している動物を問われ、生徒たちはパンダ・コアラ・クジラを挙げる)ぬいぐるみのための動物保護」

これも全く同意見だ。多くの人間が守りたいと思う動物は、人間から見て「かわいい」もの。自分たちより弱く、自分たちが手懐けられ、自分たちの庇護下に置けるもの。犬や猫はブリーダーの手によって人間好みに「かわいく」された。

私は犬も猫も大好きだけど、野生の生き物のほうがもっと好きだ。人間の支配が及ばない動物。人間を必要としない者たち。

例えば犬でもいわゆるコンパニオンドッグではなく、人間が飼うのに適していない犬のほうが好き。それは、彼らの後ろに大いなる自然を見るから。人間のそばにいるように見えて、彼らは地球の営みの一部分であり、人間だけがそこから隔絶されていると自覚せざるを得ないから。

 

こういう考えを発信する機会もそうそうないし、あまり同意を得られないだろうと思っていたところに、ローマスクが寄り添ってくれた。

とはいえ私は彼女のような差別主義者にはなりたくないけど。自然科学より社会学文化人類学が性に合っているし大学でも専攻していた。

 

長々書いたけど、この小説は主人公のキャラクターが面白いのはもちろん、シャランスキーの筆致が素晴らしいのでぜひそこに注目してほしいと思う。

インゲ・ローマスクは常に「彼女」と呼ばれ、第三者の視点で書かれているわりに、第三者の意見は一才蚊帳の外で、ローマスクの内面世界が延々と描かれる。だから何度も「彼女」というワードで躓いて、誰のことだ?となったけど、今までにこういう書き筋は見たことがなかったから新鮮だった。

 

 

最後に、私は読みながら何となく既視感をおぼえて、その既視感の正体を探ると、トッド・フィールドの『TAR』だった。

いつも理性的で、冷静で、完璧。だけど自分の理論通りにいかなければ他者を容赦なく攻撃する。ターは大きな成功を収めたが、その人間性が暴かれ、失墜する。ターもローマスクと同じ、女性だ。

「(男性に乳首があるのは)胚発生は基本的に、まず女性型を作り上げるからです。(中略)Y染色体は、女性になるのを抑制するためだけに存在します。男性とは、女性ではない者のことなのです」

しかし実際、人間社会は男性優位で(少なくとも今までは)築かれてきた。遺伝学では女性の方が優れており、人間以外の他の生物は女性が男性の上に立ち、男性は繁殖のための存在でしかないのにも関わらず。そして人間が作る人間の物語でもまた、高い能力をもつ女性には欠陥があり、社会からつまみ出される。

高度な社会性を獲得したために生まれた関係性の逆転。これを自然科学だけで語りきることができるのか。教えてローマスク先生。